劉先生の施術を受けて

9月末に、来道された五環養生操の創始者、劉発祥先生のセミナー、施術は大好評でした。

3回の施術で、長年の持病が改善した方からのお礼の手紙をいただきました。

響きの杜クリニック主催の中国気功体験ツアーには関心があり来年は参加してみたいと
考えておりました。今回9月末に響きの杜クリニックに、先生方のお一人で、五環養生操
創始者でもある劉発祥先生が中国からいらっしゃると知り、施術をお願いしました。希望
者多数の中、病状を考慮のうえ3回施術を受ける機会を与えていただきました。
  私は化学物質、電磁波過敏症でCT、MRIなどの検査が難しいため手術及び治療法が極
端に限られています。治療の目的を絞ったほうが良いとのことでしたので、鼻と気管支喘
息の施術をお願いしました。第1日目の施術の際、劉先生はこの症状で3回は少なすぎる
とおっしゃいました。治りたいの一身で施術を受けていましたが、胸骨の辺りを軽く触れ
られるだけであまりの痛さに涙がとめどなく流れ、鳴咽していました。劉先生はこんなに
痛くては膻中の経絡が詰まっていて気が流れないとおっしゃり、施術後、西谷先生に頼ん
で胸骨に注射を打ってくれました。これが2回目の施術です。最終日の治療の際、膻中に
劉先生の“気”が入るのがわかりました。そして25年間の激しい咳による胸の痛みは消え
ていました。今ではほとんど咳がでません。最後に劉先生は胸骨を指で押して「痛い?」
と、日本語でたずねました。「いいえ」と、答えると「よかった」と笑顔で言われまし
た。私のやっと覚えた中国語でのお礼の一言は涙声でした。3回を通して自覚症状が一番
重かった鼻への施術はほんのわずかだったような気がしました。しかしポリップ(鼻茸)
が蔓延していて全く呼吸ができなかった左の鼻と、かすかに息ができていた右の鼻からち
ゃんと息ができました。それまで鼻呼吸ができなかったため、体を左側下にして枕に顔を
うずめるようにして寝ていました。覚えていないほど何年間もこの姿勢で寝ていたため、
ちゃんと鼻呼吸ができても仰向けで寝るのに慣れず何週間もかかりました。
  こうしてペンを執っていても感謝の気持ちで胸が熱くなります。今は劉先生のアドバイ
ス通り五環養生操をしており、両親や友達にも広がっています。
  私は西谷雅史先生の「治る」との言葉を信じ、心から楽しみにして施術を受けさせてい
ただきました。
  劉発祥先生、このような機会を作ってくださった西谷雅史先生、響きの杜クリニックに
関わる全ての方々に日々感謝しております。

 ( 2010年11月11日    S.H 記 )

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<患者さんの声>西野流呼吸法と出会って(2)

前回紹介時24週だった妊婦さんが無事出産されました。その報告が届きましたので紹介します。

「こんにちは、西野流呼吸法でお世話になっています○○です。
先日、69日、午後9時すぎに男の子を無事出産しました。
6
6日の39週の健診中に血圧がどんどん上がってしまって、そのまま管理入院となりました。
たまたま主治医が不在で、担当の先生から促進剤にて早く出す方法、または帝王切開という提案がされたのですが、私としては促進剤だけは嫌だなぁと思っていました。それで、とにかく主治医が帰ってくるまで待とうということになりました。
月曜日までなんとか血圧が上がらないようにと、ずいぶん看護スタッフの方々が精神面もケアして下さったので、不安はありましたが、「きっとどんな形になっても大丈夫」と思えました。
 月曜日なり、主治医が促進剤を使いたくない理由なども聞いてくれた上で「予定日までまだ数日あるし、管理しながら自然に陣痛がつくのを待とう」と言ってくれました。
そうしたら、主治医が帰ってくるのを待っていたかのように、月曜日の夕方には自然に陣痛が来て生まれました。
助産師さんは私との相性もとってもよく、すごく落ち着いて出産できました。
助産師さんに「はじめてのお産とは思えないほど落ち着いていたし、とにかく呼吸が上手でした!」と褒めていただけました。 LDR(陣痛・分娩・回復室)に移ってから分娩までは3時間半で、とにかく必死でしたが、赤ちゃんは出てくる途中からもう産声を上げていたので、呼吸法のおかげで苦しくなかったのかなと思います。
私自身も、お産のときに自然と呼吸法を実践できたのはお休みしないで通っていたからだと思います。
主人も、立ち会うことができましたし(結局大変感激して、忙しいながらも抱っこしたり、あやしたりと嬉しそうです)本当に納得できるいいお産ができました。また西野流呼吸法のおかげで本当に安産でしたし、自分なりにすごく満足のいくお産ができたこと、本当に嬉しいです。
先生には、本当に感謝の言葉をいくつ用意してもし足りない気持ちでいっぱいです。響きの杜に出会わなかったら、きっとこの子とは出会えなかったんじゃないかなぁと思います。慣れない育児に戸惑いもありますが、今までのことを思うと今はすごく楽しいです。(自分が眠いときと、泣き叫ぶとき以外は・・・笑)
1ヵ月検診が終わりましたら、先生の診察のご迷惑にならない時間を考えて子供の顔を見ていただけたらと思っています。また、体が落ち着き、子供が離してくれるようなったら必ず西野流呼吸法を続けたいと思っています。
その時はまた、どうぞよろしくお願いします。」



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<患者さんの声>25年前に高濃度VC点滴療法を体験して

316日のホロトロピック・ネットワーク札幌の講演会で、高濃度ビタミンC点滴療法の話をしたところ、参加されていた会員の方が、「実は25年前、膵臓癌の父がこの治療をして効果を実感しました。」と話され、そのシンクロニシティーにびっくりしました。是非その状況を詳しく聞かせてほしいとお願いし、次のような手記をいただきました。(院長)

   

父は25年前、末期の膵臓癌であと3ヶ月と告知されました。今思うと、私たち家族が最も望んでいた「最後まで痛みで苦しまないこと」を成し遂げたことが最大の成果でした。

 告知の時、当時の病院の院長は奥様をガンで亡くされたこともあってか「今後は後悔の無いようにご家族の望むような治療をします」。とおっしゃっていただきました。

 そのとき家族としてはいったい何をしたらよいかまったく見当もつきませんでした。しかし、父のためにできるだけのことをしてあげたいと考えた母は、昼間の父の付き添いから帰ってきてから、夜な夜な医学書や論文を必死に読みあさりました。その量はかなりなもので娘の私も母のただならぬ熱意に驚きました。そしてようやく行き着いたところが、ポーリング博士の提唱されたビタミンC点滴療法だったのです。

 院長にはあのようにおっしゃっていただいたのですが、実際ビタミンC療法を始めるのは大変でした。父の主治医の若い先生は、当初は「患者さんが言っただけで、その治療をする訳には行かないです。僕は医者です。根拠となるデータを持ってきてください。」と言われました。そこでアスコルビン酸の論文を書いていた札幌医大の先生にお願いし、直接主治医の先生に会って説明していただき何とか納得してもらいました。

 ビタミンC療法が始まり、父は12月には自宅に戻りベッドの上でしたが普通の生活ができるまでになりました。その頃のエピソードで思い出されることがあります。クリスマスの日、家族が買い物に夢中になり、近所の病院で点滴をしていた父を迎えに行くのをすっかり忘れてしまったのです。そうしたら何と、父がぷんぷん怒りながら一人で歩いて家に帰ってきたのです。徒歩で15分くらいですが、なにせ今まで車椅子の生活をしていたので家族は皆、本当に驚きました。それから、「氷柱がきれいだね」とか「クリスタルの花瓶が朝日にあたると、とても綺麗だよ」などと家族と会話をしながら、とても穏やかな時間が過ぎていったのを今でも鮮明に思い出します。

 しかし、2月に肝臓への転移が原因で高熱が出て再入院となりました。ビタミンCの点滴をしている間、一度、腸から出血したことがありました。まわりの医師から“こんな治療をして、ホラ見たことか”のようなことを言われた若い主治医は急に不安になり点滴を中止してしまいました。しかし、ビタミンCの点滴を止めた途端に、父は激しい痛みで苦しみはじめました。モルヒネの量を増やし2時間おきに注射してもまったく効かないのです。見かねた母が“ビタミンCの点滴をしていて痛みが激しいのなら仕方ありませんが、そうでないのですから、出血性ショックで亡くなっても構いませんから、ビタミンCの点滴に戻してください。”と必死に頼み、再び点滴をすることになりました。不思議なことにそれからはまた痛みが嘘のようになくなりました。

 あるとき、主治医の先生が「最も副作用の少ない抗がん剤を使ってもいいですか」とおっしゃったので、これまで協力していただいた先生の頼みなので母は承諾しました。これまで大して効かなかった抗がん剤でしたが、ビタミンCとの併用のせいか「今まで血膿のような腹水が続いていたのに、今回はきれいな澄んだお茶のようになった。こんなの初めてだ」と、主治医の先生が驚いて報告しに来てくださいました。

 しかし、とうとう癌の告知から6ヶ月後の422日、本格的な春を目前にして父は亡くなりました。幸い、亡くなるまで激しい痛みはありませんでした。患者の希望する医療に理解を示された院長、又心ある治療を実践してくださった若い主治医の先生には本当に感謝しており、いまでもその気持ちはかわりません。

私たち家族がポーリング博士の論文で関心を持ったのは

1.             ガン特有の憂鬱な気分を抑制すること

2.             ガンの痛みの緩和

3.             抗がん剤との併用で副作用を抑える。相乗効果が期待できる

という点でした。

併用効果については強い抗がん剤を使用しなかったので何とも言えませんが、痛みの緩和という最大の目標を制することができて、本当によかったと思っています。

ガンを治す医師の立場からすれば、今回のビタミンC療法はガンが消えたというような画期的なことではないかもしれません。しかしガンの痛みで苦しまないことでどれほど本人も家族も救われたか計り知れないものがあります。その点を是非ガン治療に携わる先生方に考えて欲しいです。父を看病する中で感じたことですが、ただ延命ということだけでなく、患者の気分をよい状態に保つこともとても大事であり、なるべく病気であることを忘れる状態にもっていきたいと思うのが、家族としての心情だったと思います。

 ビタミンC療法は、優れたサポートだと思います。私の父の個人的な症例ではありますが、もし参考にしていただければ幸いです。

追記 これを読まれた方は 患者不在の治療となった様に思われるかもしれませんが、実は 父は肉親がガンで激しい痛みと苦しみで亡くなったのを見ており、その為 恐怖心が尋常ではなく、到底自分でその病名を聞くことすらできませんでした。それで、病院の院長に私の妻はなにを聞いても驚かないタイプなので、どうぞ真実を言ってくださいとお願いしました。この事があって、ことの是非は別として 治療法は医師と母に全託されることとなりました。

( T.O   20084.11 記)   P1020894                  

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<患者さんの声 >西野流呼吸法と出会って

                                     

  このコーナーは、響きの杜クリニックに通院されている方の声を紹介していきます。

第1回目にご紹介するのは、現在24週の妊婦さんの声です。

1.      西野流呼吸法に出会うまで

30歳は実父の癌発覚からスタートしました。その後、看病、実父の死、実母との同居、転勤と慌しくあっという間に数年が過ぎていきました。父の一周忌を過ぎ、新しい生活に慣れた頃から、本格的に子どもが欲しいと思うようになりました。この頃、ある産婦人科病院に行ったのですが「30も過ぎて専業主婦で、結婚して何年にもなるのに今まで真剣に考えてこなかったなんて信じられない。今すぐにでも不妊治療を始めたほうがあなたのためだ」と言われて、この数年を振り返って酷く落ち込みました。友人間でも治療に通う子が増え始め、時間はたっぷりあるのに、積極的に動かない私は、「子供がいなかったらお気楽に暮らせるものね」と言われることもありました。悪気がないとはいえ、同世代からの言葉によってはたびたび暗い気持ちになりました。

不妊治療に踏み切れなった理由は、「今の世の中は、欲しいと思えば、たいがいのものは手にはいるようになったけれど、子供だけは違うのではないか」という気持ちがずっとあったからです。「子供は授かり物。私たちの元へ来てくれることがないのなら、それが私たちの人生ではないか・・」という、自分の気持ちを捨てて、不妊治療を始める気持ちにはどうしてもなれませんでした。結婚して、子供を作って一人前。それは本当にその通りだと思います。でも、どんなことも人生で思い通りにいくことはないし、それぞれいろんな選択があって当たり前だと思うのです。でも周囲に話すと「今の時代、そんなきれいごと言ってないで。いい病院教えてあげるから」と言われてしまいます。「どうして、この気持ちを認めてもらえる世の中ではないのだろう。私の考えは時代にあっていなくて、古いのだろうか」と思う日々が続きました。そしてもうひとつ、自分の性格上、不妊治療をしだすと脇目もふらずにそのことだけに集中してしまうだろうと、容易に予想がついたことでした。スムーズにできた場合はいいけれど、うまく進まなかった場合、主人にもきっと負担をかけ、情緒不安定になっていく自分を想像すると怖かったというのも正直な気持ちです。冷静に考えると、主人とは喧嘩しつつも10年近く仲良く暮らし、同居した実母と主人の仲も非常に良好。今以上に何でも欲しいと欲張って、今の幸せを見失うようになったとしたら・・・。気持ちは揺れながらも、このふたつが積極的治療に踏み切れなかった大きな理由です。

この間、主人は一貫して「授かりものなのだから、我が家は治療の必要なし」というスタンスでした。普段は非常に忙しい人ですが、長期の休みには旅行に連れて行ってくれたり、たまに飲みに連れて行ってくれたりと、夫婦二人でも楽しく暮らせるんだから心配することない・・・ということを実践してくれているようでした。

もともとおしゃべりな夫婦なので、普段から子供のことを含め、よく話し合っていたというのもよかったのだと思います。いろいろな人の話の中でグラグラと揺れていた私だったので、彼の考えが一度もぶれずにいてくれたというのは、とてもありがたいことでした。

2.      響きの杜クリニックに通おうと思った理由

厚生病院で子宮癌健診を受けていたので、先生のことは知っていました。大きな病院だったので、ゆっくりお話したことはありませんでしたが、「この先生だったら、もしかしたら私の話を理解してくれるかも・・・」という気がしていました。とある日、偶然クリニックをみつけホームページを探して見てみたら、やはり自分にはあっているのでは・・・と思ったので受診することにしました。とにかく、専門家の話をきいてみたい、自分のからだの中もきちんと知っておきたいと考えていました。

初めての受診のことははっきりと覚えています。繰り返しになりますが、今までいろんな人に話しても、主人以外は「何をのんきに。30も過ぎてるのだから、ごたごた言わずに不妊治療したらいいのに」という雰囲気で、理解してもらえることはほとんどありませんでした。でも、先生に肯定してもらえたことは「自分の考えはおかしくはなかったんだ。そういう考えもあっていいんだ」という大きな自信になりました。それまでは「40歳を過ぎた頃、自分のこの考えを押し通してよかったと胸を張って言える自信があるだろうか」と悩むこともありましたが、先生とお話したことで「これが私の考え方。私たちが選んだ道」と、周囲にもはっきり言えるようになりました。

またクリニックに通っているというと、周囲も「何も考えてなかったわけではないんだね」と見てくれるようになり、精神的にも非常に楽になりました。

3.      西野流呼吸法との出会い

西野流呼吸法との出会いは、受診の時に先生に薦められたことがきっかけです。体を整えるということにちょうど興味を持っていたときだったので、お稽古事のような気軽な気持ちでスタートしてみようと思いました。

始めて10回ぐらいは、ただまねているだけで、正直何がなにやら、よく分かりませんでした。初回から変わったと感じたことは、呼吸法を終えて車のバックミラーで顔を見たら、全体的に筋肉が上がっているように見えたことくらいです。数回たつと周囲には「姿勢が違ってきた」などと言われてはいましたが、あまり実感はありませんでした。それが多分10回を越えたあたりから、自分の中できづくような変化が出てきました。PMS(特にめまい)がすごく少なくなり、肩こりも軽減しました。一番大きな変化は、気持ちの大きな揺れが激減したことです。以前はどちらかというと、物事を突き詰めてしまい、真剣に考えてしまうたちでしたが、小さなことにくよくよしていない自分に気づいたときはびっくりしました。妊婦さんを見たり、友達の妊娠を聞いても素直に「いいなー、よかったね!」と声に出せるようになっていました。

半年を過ぎた頃からは毎回、呼吸法の度に違うこと(気が上がっていくときににゅるにゅるした感じとか)を少しづつ時間できるようになり、俄然楽しくなってきました。対気で走り回ったあとは、いろんなことがどうでもよくなり、爽快な気持ちを感じるようになっていました。一緒にお稽古している方々も和やかで、ちょっとした雑談の中にも楽しさがあって、皆さんに会うのも楽しみになってきました。お稽古事は続かない出不精な私が、少しお休みすると「今日こそは必ず行くぞ!」と朝から決意するようになっていて、それが本当に不思議だなぁと、今も思っています。呼吸法を始めたら、自分の体を大事にすることにとても興味が出てきて、体を冷やさないように気をつけたり(お稽古中にいろいろ教えてもらったりしました)薬に頼らないで生活できる体を作っていきたいと思うようになりました。長年胃腸が弱く、10代から20代にかけては入退院を繰り返していた時期もありましたが、呼吸法を始めてから、胃薬を飲むこともほとんどなくなりました。これは嬉しいおまけでした。

4.      最近のこと

当初の目的をすっかり忘れ、呼吸法は楽しいから通うようになっていました。少し疲れたり、肩こりしたりすると、「早く呼吸法に行ってすっきりしたい!」と思うようになりました。なので、妊娠を知ったときは「へぇ? 本当ですか?」という感じで、こんなに早くとは全然思っていなかったのでびっくりしました。もちろん、すごく嬉しかったですが。すごく可笑しかったのは、親しい友人たちに妊娠を話した時全員に「通っていた西野流呼吸法?それのおかげだね!」と言われたことです。自分としては、さほど熱く語っているつもりはなかったのですが、いつも楽しそうに話していたそうです。また、高校時代からの一番の友人(元看護師で3児の母)に「西野流に通うようになって、明らかにあなたが変わっていくのが分かった。最近はキラキラしたものが見えていたから、きっと妊娠すると思っていた」と言われたのもびっくりしました。

まだ今は、妊娠したばかりで大きく実感はありません。思っていたより自分が先行きを不安がっていないのは、西野流呼吸法のおかげなのかなぁと思います。とにかく、新しいスタートラインに立てて良かったと心から思っています。悩んだ時期を振り返ると、「ああして悩んだからこそ、響きの杜クリニックと西野流呼吸法に出会えたのだ」と決して無駄ではなかったと感じています。そして、クリニックとの出会いを考えると、「子供ともやっぱり時期があって、今出会えたんだなぁ」と思います。呼吸法との関係は、きっと切っても切れない関係になっていくのではないかなぁと感じています。ずっと呼吸法をしていない自分というのが、想像がつかないし、心身のバランスと自分自身がより充実した日々を送れるように、続けて行きたいと思っています。(2007.11.05 記)

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